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社長通信

第99号 創業

1996年06月号

決算処理も終わり、28日に株主総会を開く段取りとなりました。皆さんの努力のお陰で第30期も好業績となり、来秋の株式公開に向け一段と弾みがつくことでしょう。株式公開申請書類のうち、「事業の変遷等」を私が担当していますが、会社の30年の歴史を振り返ることになり、乏しい資科から思い出を手繰っていくと、30年前のこともついこの間の出来事に感じることがあります。

昭和41年12月、たった50万円(アパートが1畳1,000円の時代)の資本金で当社を設立した時、私は未だ26才でしたが、2才8カ月の長男と、長女が家内の腹の中におりました。親子3.5人が食べていくためには、それ相応の収入が必要でしたが、幸いなことに大学の後輩のお父さんのビルが下井草にあり、その一部を敷金なしで借りることが出来、社長1人の会社がスタートしたのでした。

小資本で出来る仕事はサービス業しかありませんが、しかし、いづれ上場できるような大きな会社にしたいと、社名を日本ホームサービス株式会社としたのでした。新聞の3行広告で、何でも請け負いますの広告を出し、初めて仕事をいただいたのが、株式会社二シカワさんでした。西川社長や、ニシカワさんから独立したアドポリシーの森田社長とは30年来お世話になっていることになります。4年目からは当社が印刷物を発注する立場にはなりましたが、ニシカワさんがあって私の今日があるとの思いは消えません。

その仕事は、ダイレクトメール(DM)の発送代行で、創業半年位でリーダースダイジェスト社を始めとする通販業者から、月々100万通以上の筆耕・封入の仕事を請け負い、下職を使い作業しました。納期が遅れると、郵便物そのものの価値がなくなる内容のものが殆どで、機械がない時代でしたから、下職に納期を守り、ミスのない仕事をさせるため、夜も遅くまで走り回り、気が抜けない毎日でした。毎日トラックに乗ってする仕事でしたから、持病の痔がひどくなり、お尻の片方を上げて運転した辛い思い出もあります。しかし、1年後には月商2百万円位になり、何とか生活は安定しました。

その時のある下職グループの取り纏め役だったのが、業務の渕喜久子課長です。また、当社の第1号社員である今野章君は当社がDM事業をやめた時、その事業を引き継いで株式会社宣工社を設立しましたが、今では業界屈指のDM業者に成長しています。

私一人から始めた会社ですが、家内を一度として社員にしていません。それは朝から晩まで、社員が気を抜く時間がないのは可哀相だし、会社を大きくしたい野心を持つ私は、例え小さくとも家族を社員することに抵抗があったからです。

更に、墓石業界に入って16年間、利益を上げ続けてこれたのは、成長産業であることも幸いしていますが、「当社に賭けて投資して下さった株主さんの期待に応えたい。それは利回りとして有利と思われる配当をし続けることが最大の恩返しだ」と、強く感じてきたからに他なりません。

最近は、公開に向けて管理部門の強化に努めていますが、私の本意ではありません。決して、管理がいらないという訳ではありませんが、管理をする目的は、より多くの利益を出すことに役立つ為でなければ意味がありません。管理部門の社員が増えれば増えるだけ、部門間の調整ばかりに時間を取られ、本来の仕事がお留守になることが多いものです。ついこの間まで1人で2役3役をこなしていたのに、1人1役が多くなった現在、オーバーワークが多くなったのはどうしたことでしよう。

自分が今している仕事の自的は何かを考えれば、工夫も生まれるし、効率の良い作業方法や、書類であればもっと内容の充実した提案もできると思います。仕事を与えるのは上司の役目で、言われたことをするだけと考える社員は、利益に貢献することは程遠い存在で、居てもらっては困る社員です。<私は利益に貢献している>と、堂々と言える社員を私は求めます。

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