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社長通信

第182号 三大宗教

2003年04月号

 暖かさと共にイラク戦争も終焉しホッとしたのも束の間、ブッシュの次の狙いはシリアのようです。何故なら、アフガンの時も、今度のイラクも重要人物を殆ど逃し、逃げ込んだ国との戦争の口実にしているからです。

 ところで、ゴッド(神)とブッダ(仏陀)の違いが分りますか。 ゴッドとは創造神のことで、ゴッドを信じる宗教としてキリスト教、イスラム教、ユダヤ教があります。これらの宗教は、全て「天地創造の神」を「唯一の神」と信じ、教えを守っていれば天国へ行けると信じる一神教です。三宗教ともその聖地がパレスチナのエルサレムであるため、その地を取り合って争いが絶えません。

 キリストとはギリシャ語で「救世主」を意味しますが、キリスト教とは、神が天地を創造され、人間などの万物をお作りになりましたが、とあるきっかけで原罪を背負うことになってしまった人類の罪を贖(あがな)うために神が遣わしたパレスチナ人のイエスキリストを信じる宗教です。教義は「神は慈愛に満ち、人間は皆同胞として相愛すべき」であり、「一切の偽善を廃し、正義と愛を徹底すべきである」というものです。エルサレムはキリストが十字架に磔になった聖地なのです。

 一方、イスラム教の「イスラム」とは唯一神アラーに「服従・帰依する・・・神に全てをお任せします」ということを意味する言葉なのです。25年ほど前にサウジアラビアに行ったことがありますが、現地の人がよくインシャラーという言葉を使うのが印象的でした。良いことも悪いこともインシャラー(神のおぼし召すままに)。自爆テロも聖戦も、さらには略奪さえもインシャラーなのですね。先進国から見れば極めて遅れている彼らを、独裁者の抑圧から開放し、民主主義を教え、近代化するというのがゴッド気取りのブッシュの戦争なのです。ところがブッシュはフセインには勝ちましたが、かえってイスラム世界からの恨みを買ってしまったようです。いずれにしても、イスラム教にとってもエルサレムはパレスチナ人の祖先が王国を作った地だから聖地なのです。

 また、ユダヤ教は創造主である唯一神ヤハウェを信じ、「神が言われるように行動すれば、神は守ってくださる」というのが教義です。ユダヤ教にとっても、エルサレムはユダヤ人と神との約束の場所とされ、イスラエルの首都となっています。


 以上キリスト、イスラム、ユダヤ教徒は、それぞれの神を天地の創造主として、また唯一の存在として信仰し、それぞれの教えが文化を作り、国や国民を律しています。従って中東における戦争の本質は宗教間の争いで、宗教に根ざした文明の衝突であると思います。

  次に仏教はブッダを開祖とする、世界の三大宗教(キリスト教、イスラム教、仏教)の一つです。この宗教は紀元前5世紀頃にインドで興りましたが、キリスト教より五百年、イスラム教より一千年も古い時代に誕生しています。仏陀(ブッダ)というのは、サンスクリット語の音写(当て字)で「目覚めた人の意で、悟りを開いた人」のことを言い、一般に智者・覚者と訳されます。一般にはお釈迦さんのことを言いますが、広義には過去・未来および十方世界に多くの仏陀が存在するという、仏教的な世界観をあらわしているのです。釈迦とは、キリストやマホメット(イスラム教)のような預言者ではなく、私たちに人間の生き方を教えてくれた人物なのです。

 その教えは人間には本性として「自我」があり、自我は仏教では万人の心の根本である「我愛」と「我慢」として示されます。我愛は自分だけを大切にする心であり、我慢は他人と比較して自分が上と思いたい心、他人を軽んずる心です。自我は人間の日常的な心ですが、それだけでは人間に生まれた意味は無く、仏教の真髄である「慈悲」を体得する事、それがブッダの到達した世界なのです。このようなことから、仏教とは極めて自覚的な宗教だと言うことができます。私は仏教徒を任じていますが、慈悲という仏教的な視点からみると西欧的な「愛」には何か押付けがましい、功利的な匂いを感じます。「慈悲」は対立する者を悲しみ、慈しむ心ですが、裁きを必然とする「愛」は仏教でいう「我愛」という人間の欲心と紙一重ではないでしょうか。それにしてもキリスト教もイスラム教もその神の愛は無限のはずですが、独裁者が自分の言葉をあたかも神の意思であるかのように国民に錯覚させ、支配に利用するのは恐ろしいことです。強烈な自我を持つブッシュの、次から次へと仕掛けていく戦争の戦費をアメリカの同盟国として負担させられる日本は、年金、医療、福祉を犠牲にして、赤字国債で負担し続けなければならない情けない国となってしまいました。合掌

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