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社長通信

第202号 年商100億

2004年12月号

 当社はこの22日で創立38周年を迎えました。思い返せば、昭和41年、私が26歳のとき、日本ホームサービス株式会社として、隣町で産声を上げました。資金がないため、資本金はたったの50万円でした。いずれ大会社にしたいと言う志だけは高く、そのために「日本」を冠した会社名にしたのです。

 当社を設立する前は父親の会社の専務として、バルブ製造と給食の会社経営に携わりました。しかし、もらうのは約束手形ばかりで、仕事と言えば資金繰りでした。そのため、あの苦労だけは二度としたくないと、手形のないエンドユーザー相手のビジネスを志向したのです。
 当時は、まだサービスそのものがビジネスとして成り立たない時代でしたが、何でも良いから消費者に対するサービスを行う会社にしようとして命名した社名でした。それからの十数年は2~3年単位で色々なビジネスに挑戦しましたが、失敗することもあり、ときには大成功もしました。そして、40歳のときにお墓、60歳で葬儀の世界に入りました。縫製、喫茶店、通販はそれぞれ6ヶ月。健康食品、消費者金融は1年。不動産は2年。DM発送、旅行、緑化、造園、貿易は3年。振り返ると、40歳までは色々な事業にチャレンジすることを楽しんでいたみたいです(10数年前には3年でやめたUV塗装業、2年前には1年でやめたネットビジネスもありますが・・・)。そのなかでも、健康食品、不動産、DM発送、旅行などは大成功した部類ですが、これは俺に向かないから駄目だと思った事業は、早目に見切ってやめることができたために、会社を潰さずに来れたのです。とにかくこの38年間、一度として給与の遅配、支払い遅延、返済遅延、それに脱税をしたことがなく、信用だけは大事にしてきました。事業内容を次々に変えていくと、昔の銀行マンは特に保守的でしたから、なかなか信用が付きません。当時は、「継続は力なり」とばかりにわき目もふらず一業に精を出す社長、石橋を叩いても渡らない社長が信用された時代でした。従って転業ばかりする私は、信用を維持し大きくするために、約束した事は必ず守るのが信条となりました。

 サラリーマンは給料をもらう人ですが、サラリーマンの経験のない私は、給料は払うもの、払えば手元資金が減っていくものという意識が基本にあります。給料は毎月決まった日にもらえるものと言う感覚、ましてボーナスは夏冬に必ずもらえるものと言う意識もありません。私はこれまで、住宅ローンを3回組みましたが、ボーナス併用払いにしたことは一度もありません。未だかってボーナスを支払わなかったことはありませんが、ボーナス=賞与とは「ご褒美を与える」ことです。従って、貢献していない社員までが、ボーナスは当たり前と言う考えは捨ててください。

 企業の寿命は30年と言われます。設立時は新卒が入ってくることは稀ですから、創業時の社員の平均年齢を30歳とすると、30年後には60歳。創業時に苦楽を共にした社員も定年退職が間近に迫り、孫もできて、そろそろ年金が貰えるような年齢にさしかかると、保守的になります。まして新しい事業にチャレンジしたり、組織を改革しようなどとは思わなくなるのが普通です。現代は、商品やビジネスモデルの寿命は、昔に比べて加速度的に短くなっていますから、歴史を重ねた企業は組織の硬直化と、商品やビジネスモデルの短命化と相まって、衰退の一途をたどります。

 しかし、当社のチャレンジは決してとどまることがありません。当社は4年前に、お墓の世界に堂内陵墓と言う、本邦初の全く新しいお墓のカタチを持ち込みました。3年後から団塊世代が次々とリタイアしますが、彼らのお墓に対する考え方は、戦前世代とは雲泥の差があります。供養の全てを備えた、本堂もある荘厳なビル内のお墓、堂内陵墓がたったの70万円で買えるのですから、彼らに必ずや支持されると確信しています。その堂内陵墓を、当社のポリシーに共鳴してくれる寺院と協力して、毎年2ヶ所づつ建設する計画を立てています。

 霊園、堂内陵墓、生花葬はハードを売るビジネスではなく、ソフトそのもので、究極のサービス業です。この3事業をリンクしているのが「愛彩花倶楽部」です。5年後には年商100億円、東証上場を目指してのスタート元年がもうすぐやってきます。チャレンジし続けるニチリョク、変身し続けるニチリョク、何だか面白いニチリョク。「供養の未来を創るニチリョク」をキャッチフレーズに、「必ずや供養の世界に大きな風穴を空けてみせる」と初詣で祈念したいと思っています。

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