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社長通信

第207号 内向き

2005年05月号

 JR関西の福知山線の大事故の後で、その社員がレクレーションや飲み会、はたまた宴会・カラオケ・ゴルフに興じていたことが発覚し、非難を浴びている。その無神経さに呆れるばかりだが、果たしてこれをよそ事として看過できるだろうか。

 何か問題が起ったとき、一番大切なことはその対処の仕方です。事故が起こり、近くの人たちが仕事を放り出して救出に当っているのに、事故を起こした会社の社員が他人事の如く、自分の勤務をどうするかの指示を上司に仰いでいる。まっとうな人間、それも運転手なら、事故の状況を仔細に報告するとともに、直ぐ救出活動に向かうので、出勤できませんと言うのが当然ではなかったろうか。あの事故に遭遇し、その惨状を見た運転手が事故現場を離れ、通常勤務に就くとは信じ難いことです。また、飲み会等の行動は被害者やその家族の気持ちになれば、当然中止すべきことだったのに、どうして開催したのでしょうか。それほどJR関西の社員には判断力がないのでしょうか。

 これ全て、自己中心・会社中心の弊害だと思うのです。事故現場を離れた運転手は、自分が起こした事故ではないから自分の責任ではない・・・逆に定刻に出勤しないとペナルティーになる。飲み会に参加しないと、仲間外れになる。あるいは、レクレーション、飲み会、宴会・ゴルフは以前から決まっていたことなので、予定通り行わないと仲間から非難される。これ全て内側(社内)に対する気遣いの結果です。見えるのは自分の周りだけ。外の世界(組織の外)、いわゆる仲間以外を見ていません。必要なのは、自分の周りがどう思うかではなく、被害者を含めた社会がどう思うかという洞察力の欠如です。

  こうしたことは大きな組織になればなるほど、あるいは閉ざされた組織になればなるほど多いように思います。今の生活が平穏だから、波風を立てたくない意識が内向きの行動になるのです。社会のルールより、所属する組織のルールが優先すると、JR職員のような行動になるわけです。社会のルールは人命第一・救出第一。JR関西のルールは、業務命令第一・定時運行第一。

 中国や韓国との関係がギクシャクしていますが、これも相手の立場から物を見ていないからです。小泉総理の靖国神社参拝がそのよい例です。日本は侵略戦争に対して17回も謝罪したと言いながら、そのトップである総理大臣がA級戦犯も祀っている靖国神社に参拝することは、被害者からすれば口先だけの謝罪としか受けとれません。外交的にはA級戦犯が侵略戦争を起こしましたと認めているのからです。日本の神道は、死んだ人は全て神様として祀る習慣があると、幾ら説明(説明しているようには思えませんが)しても相手が理解できなかったら、謝罪は口だけと思われても仕方がありません。宗教観が戦争の原因と言っても過言ではない位、宗教は難しいものです。昔、社会主義者が「宗教は麻薬」と言いましたが、小泉サンが国益を損ねてまで靖国参拝をする必要がどこにあるのでしょうか。被害者である中国や韓国の人たちから神道の理解を得ずに参拝することに、どれほどの価値があるのでしょうか。両国とも問題を抱えており、国民の目をそらす為に敢えて反日デモを容認していたところもあることを否定しません。しかし、それを知りながら参拝することはバカのすることです。英霊に対する礼拝はどこにいてもできます。要は英霊に対する「こころ」があるか否かです。小泉サンは意地で参拝しているだけにしか見えません。政治家を辞めた後もどれだけの人が靖国参拝を続けているかを見れば、誰のため、何故に参拝しているかが分かります。

  当社の社訓に「相手の立場に立って物を考えよ」の一項があります。18年前に作った社訓です。この意味は相手の気持ちになって自分を見よということです。消費者の立場に立ってお墓や葬儀の業界を見れば、自ずと成功するビジネスのやり方が見えてきます。要は自分が消費者として、どんな商品、どんなサービスが受けたいかを考えれば答えは簡単です。上司がどう言うか、同僚がどう思うかが先行すると、顧客満足を得ることはできません。

 JR事故の遺族担当者が電話で「何時、四十九日をされますか。費用を負担しますので、JR西日本宛の領収書をください。」と至極事務的な言葉を吐いていましたが、相手を慮る心があれば、もっと他の言葉使いが出来たはずです。日本語は難しいものですが、要は自分が相手の立場ならどう感じるかを慮って言えば問題は生じません。

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