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社長通信

第225号 浄土真宗

2006年11月号

 今回は、僧侶として肉食妻帯を最初に始めた親鸞聖人(以下、親鸞)を宗祖、妻5人に子供27人を作った本願寺第8世、蓮如上人(以下、蓮如)を中興の祖とする、仏教の大教団・浄土真宗(以下、真宗)について書いてみたいと思います。特別に真宗を勉強しているわけではないので、史実や教義の解釈に諸説があって頭は混乱、支離滅裂な内容であることを承知の上でお読みください。
 
 浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、別名一向宗、門徒宗とも言われ、鎌倉時代の初期、浄土宗の開祖法然聖人の弟子であった親鸞が開いた日本独自の仏教宗派です。その教義は、念仏を唱えれば誰でも極楽に往生でき、また悪人こそ阿弥陀仏の救済の対象だから往生の正機であると説いています(悪人正機説-あくにんしょうきせつ)。  

 当時、すでに既成仏教となっていた天台宗の比叡山延暦寺は、新興宗教、特に念仏を専らにする浄土真宗を含む浄土宗系への弾圧を、山法師(僧兵)を使って徹底的に行いました。そして、浄土宗開祖法然の弟子であった親鸞は、旧仏教勢力と結託した公権力によって越後(新潟)に流されてしまいました。そこで非僧非俗の生活、即ち結婚や肉食を行うなど、当時としては破戒僧そのものでした。1262年の親鸞没後、数多くの小教団が乱立し、親鸞の正統を標榜する本願寺は蓮如の出現まで廃れる一方であった。境内は寒々とした空気が漂い、僧侶たちは一日一食の食事もままならないほどの財政難だったようです。
 
 ところが約200年後の1457年、蓮如がトップに就任するや十年ほどの間に今流行のM&A(諸教団の吸収合併)もあって、真宗を日本一の大教団に育て上げました。蓮如の功績の一つに、報恩講(仏教のサークル活動⇒今で言うソーシャルネットワーキングサービス=SNS)を各地に作ったことがあげられます。そして、その会員は身分、職業、収入、性別、長幼に関係なく平等に扱われたと言います。女性や国民の9割を占めた百姓など、虫ケラと同じ扱いしかされなかった時代に、講では今全盛のブログの如く、皆が自由に発言できたことは画期的でした。この蓮如の新ビジネスモデル(講)は、燎原の火の如く日本中を覆い尽しました。飲酒、肉食は当たり前、一部の講ではフリーセックスもあったようですから、何でもありの会だったようです。人生50年の時代に、蓮如は還暦を過ぎてから子供10人をもうけ、85歳で亡くなる前年にも生まれています。人生50年の時代ですから、羨ましいを超越してクレイジーな精力家だったようです。
 
  現在の浄土真宗の宗派の中で、お互いに1千万信徒を呼号しているのが京都にある東・西の両本願寺です。浄土真宗本願寺派の本山が西本願寺(正式には本願寺)、一方の東本願寺(正式には真宗本廟)は真宗大谷派と呼ばれます。ちなみに、浅草の東京本願寺は、真宗大谷派から1981年に分離独立した宗派で、浄土真宗東本願寺派と言います。築地の築地本願寺は正式には本願寺築地別院のことです。また、真宗では仏教徒として破ってはいけない生活規律(戒律)の定めが無いので、戒名と言わず法名と言います。親鸞は自分のことを愚禿(ぐとく)釈親鸞と称したように、真宗では、人間には身分に上下の差が無いので、誰もが釈○○の3文字だけの名前が正しいとされています。 また真宗では檀家のことを檀徒と呼ばず、門徒と呼びます。
 
  釈迦の始めた仏教の真髄は真理(法)に目覚めること(悟ること)とされています。「さとり」は仏教の究極の目的であり、悟りを開くためにさまざまな修行を行います。親鸞は9歳のときから20年間も比叡山で修行しましたが、煩悩を断ち切れずに下山し、法然の元で修行しました。私は66歳になっても、煩悩(ぼんのう)が邪魔をして、迷いの世界を彷徨し、輪廻(あの世とこの世を行ったり来たりする心の迷い)を続けています。親鸞は、只ひとつ、「南無阿弥陀仏」(念仏)を称えるだけで極楽浄土へ行くことが出来ると教えました。ところが、極楽があるのか、無いのか、見た人はいませんから誰にも分かりません。証明できないことを教義の根本にしているのですから、科学万能の現代では素直に信用できません。私は、地獄・極楽は心の持ち様にあるのであって、念仏を称えることによって、全ての邪念、不満、欲望が失せ、ピュアで平和な気持ちになる・・・それを極楽と解せばよいと思います。蓮如は、親鸞の教えとは異なるが、虫ケラ扱いされていた無知文盲の人々にも分かるように、念仏を単純明快に説いたため、本願寺の勢力を急拡大できたのだと思います。

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