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社長通信

第227号 アンコールワット

2007年01月号

 去る12月30日(土)、世界遺産のアンコールワットで有名なカンボジアのシェムリアップ市の小学校を訪ねました(学校訪問がツアーに組み込まれているのです)。
わが国ならば、学校は冬休みですが、カンボジアの正月は4月13日で、正月休みはその前後になります。そのため、いつもと変わらずに授業を行っているのです。

 朝早く学校に行くと、校庭の木の枝に吊るされた車のホイールを、子供が叩いて授業開始を知らせます。すると、外で元気に走り回っていた子供たちが一斉に教室に駆け込みます。彼らの身なりはみすぼらしく、裸足の子供もいます。
教室に入ると、電気がないので薄暗く感じます。しかし、彼らは明るく屈託がありません。そして、目を輝かせて先生の話に聞き入っています。
子供たちが学校で授業を受けるのは半日だけ。教室が不足しているので、子供達は午前のクラスと午後のクラスに分かれて授業を受けるのです。そのため、子供たちは、授業の無い半日、家の手伝いをして過ごします。

 観光地であるシェムリアップには、観光客を目当てにした多くの子供たちが、彼らにまとわりついて1個数ドルの民芸品を売ったり、「マネー、マネー」とせがんだりしています。なかには10歳に満たない子もいるではありませんか。
では、なぜ子供たちまでこのように身を粉にして働くようになったのでしょうか。

 1975年に権力を掌握したポルポト政権は、都市住民はフランスの植民地時代からの支配階級であると見なし、「社会の害虫」と称して、全員を農村に強制移住させました。そのなかでも特に知識人や金持ちは、改造できない人間として政権発足から数ヶ月の間に、数万人が処刑されました。
その後、政権崩壊までのわずか4年ほどの間に、当時の人口の25%にあたる170万人が虐殺されたと言われています。首都プノンペンは、全ての住民がいなくなり、ゴーストタウンと化しました。人々は、全ての娯楽はもとより、恋愛までもが禁止され、朝から晩まで、馬車馬の如く、機械を使わない農作業や土木作業に従事することを強いられたのです。
ポルポトは、中国の文化大革命時と同じように、資本主義に毒された都市住民を、「肉体労働」によって共産主義に相応しい人間に改造しようとしたのではないか言われています。

 1979年、ベトナム軍が首都プノンペンに侵攻することによって、ポルポト政権は崩壊しましたが、すぐにお決まりの内戦状態に突入してしまいました。
 12年後の1991年に漸く和平協定が成立し、政情が落ち着くかに見えましたが、政権が統一されることはなく、第一、第二の2人の首相がいるという、先進国では考えられないダブル首相制の政府が誕生しました。当然のことながら、連立を組む両派による武力衝突が続き、ついにカンボジアは世界の最極貧国になってしまったのです。
さらに、不幸なことに、ポルポト時代に有能な大人は全て殺され、その子供たちも餓死・病死を免れはしたものの、まともな教育を受けずに育ってきたことでしょう。
そのため、今、カンボジアが抱えている最も大きな問題は、社会の中枢を担うべき中高年層の絶対的な不足によって国の再建がままならないことです。

 カンボジアから戻った正月3日には、6、5、4、2年生の孫が全員我が家に揃いました。私と家内はそれぞれにお年玉をあげました。孫たちは、私たちに、「ありがとう」とお礼を言った後、お年玉袋の中身を確認すると、それをそのままテーブルの上に置き、また遊びに興じています。
私の子供の頃は、年末になるとお年玉が楽しみで、それで何を買おうかと、正月が来ることを楽しみに待ったものです。そして貰ったお年玉は、大切に財布にしまったものです。

 孫に限らず今の日本の子供たちには、欲しい物が何もないという不幸を痛切に感じました。
 四人の孫は3日間を元気いっぱいに遊んで帰りましたが、カンボジアの子供との差を痛切に感じないわけにはいきません。
その差は、生きる目標の有無ではないかと思うのです。私の孫たちは、食べるために働かねばならないということはありません。確かに、生きるための苦労は何も無いのですから、とても幸せです。
しかし、片や数ドルの商品を、なんとしてでも売らねばならない子供たちは、今日これを売ると夕飯にあり付けるという目標があるわけです。彼らが生きるために働くという試練を経て大人になった時、どんなに逞しくなっていることでしょうか。

 全てに満たされ甘やかされて育つ日本の子供たちがどんな大人になるのか、カンボジアの子供を見て複雑な気持ちになりました。

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