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社長通信

第231号 シルクロード(前編)

2007年05月号

 シルクロードは、かつての都、長安(現在の西安)を起点として、中国最西端の都市ウルムチを抜け、中央アジアから中東を経て、ヨーロッパに至る陸路です。
その道程は、長安を発したあと、険しい山岳を辿り、砂漠のオアシスからオアシスを繋ぎながら延々と続く、過酷な道無き道です。
一方、その沿路には、数多くの遺跡が点在しているため、シルクロード(絹の道)は墳墓と仏教遺跡の「道」と言っても過言ではありません。

 私は30年前から今日まで、中国には十数回行っていますが、シルクロードに足を踏み入れるのは今回が初めてでした。
今まで、行きたいとは思っていましたが、シルクロードの気候の良い季節に1週間以上休めるのはGWしかなく、なかなか叶いません。
ところが、今年は5月1日と2日を休むと9連休になり、漸く念願が叶ったのです。
今回参加した某大手旅行社のウルムチ、トルファン、敦煌、西安を巡るシルクロードツアーのタイトルは“はるかなるシルクロード8日間”でした。

 ウルムチやトルファンなどの都市は、日本がすっぽりと入ってしまうほどの広さのタクラマカン砂漠にあって、海抜4000m級の万年雪で覆われた天山山脈からの地下水が、砂漠に湧き出ることによって出来たオアシス都市です。その山脈の長さは東京から大阪までの距離に匹敵するほどの巨大さです。
これらの都市の緯度は札幌と同じ位ですが、真夏には最高気温が50℃、真冬にはマイナス30℃にもなるといいます。また、1日の温度差が20度以上になる日もあると言われたので、春用と夏用の衣類を持参しましたが、旅行中の最高気温は38℃、最低は15℃位でした。
因みに降水量は16ミリ/年、水分の蒸散量は3,000ミリ/年だそうで、1日に8ミリも蒸発していることになります。

 ツアー3日目は夜行寝台列車で敦煌へ移動です。その列車が、トルファンを予定時刻より3分も早く発車したのには驚きました。
漆黒の闇に包まれた砂漠の中を12時間も走って翌朝11時に敦煌着。単線のため、対向する列車とすれ違うために、途中の駅でたびたび数十分も止まりましたが、列車の便所が糞便を線路に撒き散らす構造のため、停車中は車掌がトイレの鍵を掛けて、乗客が利用できないようにしてしまいます。その間、用を足すことが出来ないのには本当に参りました。
またオアシス地帯の公衆トイレはドアが壊れていたり、ドアが無いのもあって閉口しました。

 さて、敦煌に到着すると、すぐに玉門関(関所)と漢代造営の万里の長城遺跡に向けて、砂漠のなかをバスで1時間以上走ります。その道路は、砂漠を真っ直ぐに貫き、遙か地平線に消えていきます。時々蜃気楼も現れ、しばし幻想的な気分に浸ることもできました。
外気は38℃もありますが、湿度が低いので、気温が高い割には汗をかきません。

 涼しくなった夕暮れ時には、鳴沙山(砂が鳴くらしい)という、40キロも続く砂丘に行きました。
まず、鳴沙山に至る道路の途中に入場料を徴収するゲートがあって、そこからはラクダに乗って行きます。ラクダは馬より背が高いのですが、人が乗り降りしやすいように、4本の足を折って、腹をペッタリと地面につけて座り込む(後足は人間のべた座りと同じ形)ので、馬より乗りやすい動物でした。

 10分ほどラクダの背に揺られると、鳴沙山の麓に到着します。そこからは、砂山に埋め込んで設置されている梯子を頼りにひたすら登ります。
ところが、たった200mほどの高さですが、45度はあろうかという急斜面に四苦八苦しました。足を踏み外したならば下まで転げ落ちてしまうという恐怖があってなかなか登れないのです。
頂上直下の20mほどはその梯子も無く、四つん這いになって漸く頂上を極めました。家内は途中でリタイアしてしまいました。

 狭い頂上から転げ落ちないように、へっぴり腰であたりを見渡すと、砂丘が幾重にも連なり、正に「砂山の連峰」のようで圧巻でした。
下りは、尻餅をついておそるおそる滑り降りようと試みましたが、全く滑りません。登る時の、踏み外したら転げ落ちるかもしれないという恐怖は、全くの取り越し苦労だったのです。立ったまま歩いて簡単に降りられるのです。(次号に続く)

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