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社長通信

第242号 お陰さま

2008年04月号

 最近、余り聞かれなくなった言葉に「お陰さま」や「有り難い」があります。
 子供の頃、村の年寄り達が「お陰さんでなあ、毎日元気に暮らさせてもろうて、有り難いことですわ」と、時候の挨拶と共にしゃべっているのをよく耳にしました。
「お陰様」とは、神仏の加護を受けている様。「有り難い」とは仏様の慈悲など、得難いものを得た時に使う仏教用語で、ありがとうの語源です。
 
 人間には、金銭欲、名誉欲、愛欲、独占欲、知識欲などの「欲」があって、一般にはそれはあまり良くないもののように考えられてきたようです。
しかし、欲をそこそこ充足出来た時、感謝と喜びの言葉を、「それが出来たのは仏様のお陰であり、有り難いことです」と、自分の努力の結果としてではなく「仏様のお陰」と素直に表現した昔の人は、心から神仏を信じていたと言えましょう。
さらには、かつては誰もが苦労をしていたからこそ、この言葉を素直に口にできたのだと思います。
 自分の人生を振り返ってみれば、産んでくれたのは親であり、育ててくれたのも親など自分以外の人です。ところが、若いときには能力があり、力があれば、人生は思い通りになると思い上がることが多々あります。成人し、自立し、ある程度成功すると、この成功は自分一人の努力と幸運によるものだと錯覚してしまう傲慢さに気付かないのが凡人の悲しさです。
 人類の進歩は、「忘れる」ことによってなされてきたとも言えますが、私は、先祖や仏様、或いは周りの人々に対する感謝の気持ちを忘れてしまうようでは、供養ビジネスに関わる資格はないと反省させられる日々です。
 
 私の郷里の滋賀県の近江商人には、「三方よし」の精神=経営哲学があります。売り手よし、買い手よし、そして社会よし、の三者ともが全て良しと言う商売が近江の商人道なのです。
 商売とは、凡そ相手の立場に立って商品を勧めたりサービスを提供しなければ、買ってもいただけないし、サービスも受けてもらえません。
相手が喜んでくれてこそ商いは成功し、結果として利益が出て、税金も払うことができ、社会還元も可能となるのです。
 
 かつて私が愛煙家だった頃、関西ではタバコ一箱買っても「おおきに!」と、こちらが面食らうほどの感謝の言葉をくれたものです。東京ではタバコ一箱位ではありがとうと言われることが稀だったので、東西の商人道の差を感じました。
しかし、東京でタバコを買ったとき、お店の人が「ありがとう」と言うだけでは、客は、店の人がよほどの年長者で無い限り、傲慢な感じがして、気を悪くしてしまうのではないでしょうか。
 東京の「ありがとう」に相当するのは、大阪の「毎度おおきに!」ですが、「ありがとうございます」と同程度の丁寧な響きがあります。
 このように、静岡以西の西日本で人々の間に「ありがとう」や「おかげさま」精神が溢れているのは、浄土真宗の信者(門徒)が多いせいかもしれません。
それは、浄土真宗は戒律のある宗派ではなく、人間の生き方を教える学問(哲学)に近い宗派であることと関係しているように思えてなりません。

 いずれにしても、私たちは人生のなかで、とかく他人の成功を妬んだり、恨んだりもします。ところが、お坊さんたちにもそういう嫉妬心があって、我々世俗よりも強いと感じることがあります。
 食欲、性欲、睡眠欲は人間の三大欲望と云われます。本願寺中興の祖・蓮如上人は、84歳のとき第5夫人に27番目の子供を産ませたという記録があります。蓮如上人は親鸞聖人と並び称せられる高僧ですが、高僧でも性欲には勝てなかったようです。ましてや物質的に恵まれている現代の僧が、欲望を捨て切れないのは仕方がないように思いますが、僧侶としての矜持だけは失わないで欲しいものです。
 
 僧侶を仕事として務めるのではなく、檀信徒を教え導く聖職者の意識を持って布教されるなら、寺院離れの続く今、仏教もまだまだ捨てたものじゃないと思われます。

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