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社長通信

第252号 運命

2009年02月号

 あなたは脱脂粉乳を知っていますか。これは、牛乳から脂肪分を取り除き粉末にしたもので、かつてはそれを湯に溶かして飲んだものです。
味はといえば、大変不味くて、最近の子供ならば、飲んだ途端に吐き出してしまうでしょう。しかし、食べ物が無く栄養失調気味だった終戦後すぐの子供たちにとっては、栄養価の高い「美味しい」飲み物でした。
 私の小学校入学は、終戦の約1年半後の昭和22年4月で、新制教育になってからです。今はどの小学校でも見られる学校給食もその時から始まりました。その学校給食に必ず出されたのが脱脂粉乳でした。それは、戦時中は誰もが「鬼畜米英」と言っていた、かつての敵国アメリカからの贈り物です。
 
 脱脂粉乳や学校給食をはじめて飲食した戦前生まれの世代が青春時代を過ごしていたさなか、1960年に池田勇人が内閣総理大臣に就任しました。その直前の岸内閣の時には、日米安全保障条約反対運動(安保闘争)が勃発し、何万人もの労働者や学生が国会議事堂を取り囲み、今にも革命が起こるのではと思わせるほど、世の中を震撼させるような激しい倒閣・反戦運動のあった時代です。 
 
 その当時の日本製品は、安かろう悪かろうが普通で、自動車もよく故障し、今の車と比較すると大きな動くおもちゃであり、高級車といえばアメリカ製でした。海外旅行も、渡航理由が観光では許可されず、外貨の持ち出しも厳しく制限されていて、まさに発展途上国そのものでした。
また、当時の混沌とした世相を反映して、労働者の賃金の上昇も微々たるもので、誰もが欧米の繁栄を羨ましく感じていたものです。一方、鉄のカーテンに閉ざされたソ連や竹のカーテンの中国などの共産圏の国々には、不気味な力を感じていました。
 
 騒然とした中で結局、安保条約(締結のサインは麻生現総理の祖父である吉田茂元総理)は改定され、岸信介(安倍元総理の祖父)内閣が総辞職して生まれたのが池田勇人内閣でした。そして、彼は国民のやる気を奮い立たせる所得倍増計画を発表したのです。それは国民の所得を10年間で倍増するというのです。
当時の企業は現在の中国のように労働者の低賃金を武器に稼いでいたため、国民の所得が10年で倍になるなどと言うことは夢物語にしか思えませんでした。事実私は、それを池田内閣のはったりだと思いました。
ところが、安保闘争の後に颯爽と登場した池田さんへの期待もあって、それまで悶々としていた国民は、彼の言葉に夢と希望を持ったのです。そして、それからと言うもの、我が国の経済は毎年2ケタの成長を続け、たった7年で所得倍増を果たしました。日本のトップリーダーが代わったことによって、国民が「元気」を取り戻し、今日につながる繁栄のスタートを切ったのです。
 このように、国家が成長するときは、不思議と優れた総理大臣が出てくるものです。否、総理大臣の言葉一つで国民は変わるものです。
 
 青春が戦争だった世代は明治や大正生まれですが、かなりの数の人々が戦争の犠牲者になった世代でもあります。そのような困難な時代を生き抜いた人々は、終戦直後の混乱期に、自分や家族が生き延びるために、塗炭の苦しみを味わってきたのです。そして、彼らの努力こそが、その後の経済成長の牽引力となったのです。
 昭和36年から国民皆保険・皆年金制度が始まりましたが、それまでは国民保険制度がなかったので、誰も保険料を納付していませんでした。しかし、当時、70才以上の人には無償で年金(国民福祉年金)が支給されました。多くの人が青春を戦場で送った、戦死を免れたとしてもいわゆる戦争体験者でしたし、戦後の高度経済成長を支えてきたのも彼らです。年金はその人たちの労苦に対する国からの謝礼であったとも言えるでしょう。
 
 いずれにしても、人生は山あり谷ありです。個人的にも世代的にも、また国家的にも良い時もあれば、悪い時もあります。個人個人をみれば、何時、何処で、誰の下に生まれるかは運命です。しかし、私の子供の頃、誰もが貧しかったにもかかわらず、他人を羨むことは少なかったように思います。
 
 私たち日本人には、今を一生懸命生きること、それが出来る環境にあります。たとえば、北朝鮮では自由に生きようとしても、それは許されません。私たちは、自分たちの将来を自分たちで選択する自由が与えられています。その自由を正しく行使するためには、国民一人ひとりが政治に関心を持ち、国家国民のために自己犠牲を厭わない政治家に、一票を投じることがまず肝要だと思います。 

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