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社長通信

第266号 成長

2010年04月号

 私は、先進国より発展途上国、特に中国を旅行するのが好きです。私が初めて中国に行ったのは、日中国交正常化後の1973年(昭和48年/37年前)で、目的は商品の買い付けでした。
 当時の中国には私営の大手企業は無く、大手の国営企業の招請状がないとビザを発行してくれない時代でした。また、貿易ができるのも数少ない友好商社のみで、当社は中国企業との直接取引ができませんでした。私が初めて北京空港に降り立った時、共産国というだけで緊張が走ったのを鮮明に覚えています。
 空港から北京の中心部に入ると、男女を問わずだれもが人民服を着ていて、広い道路を端から端まで占領して走っている自転車には驚かされました。
女性はおかっぱ頭で化粧もしておらず、美しくもなければ色気もありません。中国に生まれなくて良かったと、変なところで安心したものです。
 
 当時の中国での取引先は、五金公司という国営企業でしたが、そこの社員(役人)による観光案内と、夜になると高級中華料理店で「中日(中国では「日中」ではありません)友好カンペイ(乾杯)」と言いながら杯を交わす、所謂、接待漬けの毎日でした。四六時中そこの社員が張り付いているので、自由な行動も出来ず、食事を断る訳にもいきません。色々な商品を見ましたが、欲しい品物は何もありませんでした。
 しかし、接待を受けた義理もあって、300万円ほどの置物(ろう石の花瓶など数百個)を買いましたが、入荷したのは半年後でした。ところが、それらの花瓶は全部底が抜けていて、生花を生けることの出来ない、言葉通りの「置物」でした。
 
 このように、20~30年前までの北京や上海などは、中国有数の大都市とはいえ、今から50~60年以上も昔の東京を彷彿とさせる雰囲気だったのです。当時の私は、先進国入りした日本に住む幸運と共に、ちょっとした優越感を味わったものです。
 ところが、日本のバブルが弾けた頃から、北京、上海は言うに及ばず、中国の大都市には高層ビルが林立し、道路は車で埋め尽くされ、モーレツなスピードで経済が発展しています。
 
 私が大学入学のために上京したのは、51年前の1959年(昭和34年4月)です。東京タワーはその前年12月に完成し、エッフェル塔を抜いて世界一ノッポの電波塔となりましたが、日本はその辺りから経済の高度成長が始まったようです。
 「ようです」というのは、20年ほど前のバブルの時、渦中にいた大半の日本人はバブっていることに気付きませんでした。今の中国経済は絶対にバブッていると思うのですが、中国人はまだまだ成長すると信じています。
 さて、東京タワー完成から2年後の1960年(昭和35年)12月に池田勇人総理大臣は、10年で所得を倍にするという所得倍増計画を発表しました。
 当時、私は大学2年生でしたが、それまでの低所得がたった10年で倍になるなんて信じられない!というのが実感でした。
 ところが日本経済は、それから凄まじい成長を始めました。GDPは実に7年で2倍になったのです。但し、35円のラーメンも70円になりました。
 
 5年前の大ヒット映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は、東京タワーが建設されつつある東京港区を舞台に、まだまだ日本が貧しかった時代を描いたものです。子供たちは道路を走り回り、泥んこになって遊んでいました。大人たちは死に物狂いで働いていました。そして三種の神器(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)を手に入れることこそが豊かさの象徴でした。
 今、私たちは全ての豊かさを手に入れ、かつての高度経済成長のシンボルだった東京タワーも、完成すると世界一高い電波塔(東京タワーの約2倍)となる東京スカイツリー(高さ634m)に役割を譲りつつあります。
 日本経済の50年間を振り返ると、モノは豊かになりました。しかし国民の心は満たされたようには思われません。人間は一体何を以って幸福を感じるのか、永遠の疑問と言えば疑問です。

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