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社長通信

第277号 東日本大震災

2011年04月号

 先月11日に、未曾有と言われる震災が東日本を襲いました。未曾有とは「未だかって(曾って)起こったことのないこと」と広辞苑にあります。
 ところが、日本ではマグニチュード9の地震は初めての経験であっても、地球規模で見ると、1960年チリ地震(M9.5)、1964年アラスカ沖地震(M9.2)、2004年スマトラ沖地震(M9.1)に次ぐ規模であり、決して未曾有ではありません。
 特に7年前のスマトラ沖地震の震源域は1,000キロメートルと言われ、地震の巨大なエネルギーによって発生した津波の映像は、今でも脳裏に焼きついています。その津波による死者は世界中で28万人に及び、地震国日本の我々も決して他人事ではなく、明日は我が身の心構えと対策が必要ではなかったでしょうか。
 岩手・宮城・福島・茨城沖の4つの震源域が同時に鳴動した場合、その全長は500キロメートルに及ぶ訳で、スマトラ沖地震を経験した後に、地震学者達は日本でも超巨大地震が起こり、大津波を生むという発想がなぜ出来なかったのかと悔やまれます。
 
 さて、私は、今回の大地震が起こった時、高田馬場オフィスの社長室にいましたが、結構大きいな、と言う程度の揺れで、まさか震度7の超巨大地震が東日本を襲っていたとは思いませんでした。電車が止まり、復旧は夜になるだろうと想定し、満員電車は嫌なので、タクシーで家路に着くべく4時半ころ会社を出ました。車は直ぐに拾えて、普段と同じ30分ほどで自宅に帰り着きました。
 地震の後、直ぐ気になったことは、被災地やそこの人々がどうなったかと言うこと、そして、当社が施工したお墓が倒れていないかということです。
 テレビや新聞では、神戸の時のように建物の倒壊や大規模な火災についての報道は少なく、津波に飲み込まれ、一面がれきの山と化した街の惨状と多くの死者行方不明者、原発の機能不全についてのものがほとんどでした。
 
 お墓については、東北方面の震源地に近いお墓は殆ど倒壊しているだろうと想像しました。阪神淡路大震災のあと、神戸市内の霊園を視察に行きましたが、竿石が3メートルくらい吹っ飛んでいるお墓もありました。それは断層上にあったためか、下から突き上げられ飛ばされたように見えました。しかし、そのお墓からわずか数メートル離れた場所にあった墓石は少し動いているだけでした。
 今回の地震の直ぐ後、営業社員全員で当社が施工した霊園を調査しましたが、幸いにして墓石の倒壊は1件も無くホッとしました。
 
 地震発生の2週間後の26日に常磐道が通れるようになり、東京よりも震源地に近い水戸(震度6弱)に本橋課長と行きました。住宅の屋根の棟瓦がずれたためか、屋根にブルーシートを被せた家が点在していましたが、倒れたり傾いた建物は見当りません。2万区画の水戸市営霊園では、倒れた墓石の復旧作業をしている石材店を多数見かけました。全体の10%位が倒壊したようです。田園地域の共同墓地などは地盤が悪いためなのか、半分近くが倒れていました。また、ある寺院の境内墓地も30%は倒壊していましたが、その大半は30年以上も前に建てられた古い墓石でした。
 東北道の通行制限が無くなった3週間後の4月1日から2日にかけて、村木部長を伴って仙台にも行ってきました。ある民間の霊園は擁壁が何ヵ所も壊れ、墓石が傾いたり倒壊したりしていて、かなりの被害が出ていました。市営霊園も2ヶ所見ましたが、市営は色々な石材店が施工しているため、倒れているのは建て込み技術が悪い石材店が施工したものか、地盤の悪いところに建てたもののようでした。
 前回の関東大震災から88年が過ぎ、何時それがやってくるかも知れませんが、震度6強程度の揺れでは、建物は倒れないことを知りました。そして、今回、自分の目で被災地を見ることによって、地震で倒れないお墓を建てる手立てを得ることができました。
 
 震災には備えが大事です。大地震が発生した場合、3日間は市街地でも水も食料もないこと、ガソリンや軽油、および水は4週間を過ぎないと手に入らないこと、ガスは復旧まで数ヶ月を要することを日頃から肝に銘じておかなければなりません。そして、何よりも気をつけなければならないのは排泄処理です。我が家ではポータブルトイレを2個用意し、水はミネラル50リットル、水道水はベランダの地下に1.4トン、保存食は10日分、懐中電灯は5個、灯油ランプ、更に停電と同時にライトが居間を明るく照らすようになっています。備えあれば憂いなしです。

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