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社長通信

第279号 ブッダ

2011年06月号

 5月末に、アニメ映画「ブッダ」3部作の第一部が封切りになり早速見に行きました。これは、漫画家、故手塚治虫の原作を映画化したものです。
 第一部は、ブッダ(本名:ゴータマ・シッダルタ…目的を遂げる者の意)が王家の長子として生まれるところから始まります。心根の優しいブッダは、長ずるに従って、王宮の外で生きる人々の生老病死(四苦)、戦争による殺し合い、生まれた家による身分差別を見るにつけ、王位継承に耐えられなくなってしまいます。そして、ついに王宮を出て修行の道へと足を踏み入れるのでした。
 インドには、約3,000年以上の昔から、親から子へと継承される身分制度=カースト制度があります。カーストにおいては、食事、職業などに関して厳しい規制があり、身分を越えた結婚の他、異なる身分相互の交流が禁じられています。映画の中でも、ブッダは、好きになった女性がカーストの最下層、奴隷階級であったが故に、彼女との結婚が適わず、他の女性と政略結婚させられてしまいます。その後、ブッダはこの女性との間に一子を授かりましたが、結局、29歳で王宮も家族も捨てて、求道の道に入ります。
 第一部のストーリーは出家までです。ブッダ=仏陀=「覚った人」という意味ですが、ここまでだと、まだ迷える子羊と言ったところでしょうか。
 次に、第二部以降のストーリーをざっと見てみてみましょう。出家後のブッダは、ひたすら難行苦行を続けますが、身体を消耗するのみで、なかなか生老病死の苦を解決することはできないと悟り、修行を止めて、瞑想の世界に入ります。瞑想すること49日、ブッダは遂に菩提樹の下で悟りを開きました。出家をして6年が過ぎた35歳の時のことでした。
 その後、80歳の涅槃(仏陀の死亡)までの45年間、インド各地を巡りながら、仏の教え(真理・法)と心が安らかになる方法を説いて廻った(伝道)のです。
 
 ブッダの説いた教えによりはじまった仏教には、釈迦・阿弥陀・大日・薬師などの如来や、観音・弥勒・地蔵などの菩薩、愛染・不動などの明王、そして、梵・毘沙門・帝釈・弁才などの天など数多くの仏様がおられます。如来は「覚った人」であり、菩薩は「覚りを求めつつある人」と解釈されています。名古屋の覚王山陵苑のご本尊である愛染明王は、大日如来の化身と言われています。寺の山門の脇仏などで見られる火焔を背負った仏様である不動明王は、仏に帰依しない衆生を脅してでも帰依させようとしていると言われています。この仏様は、牙の生えた鬼の顔をして右手に剣をかざしていますから、子供の頃は恐ろしい鬼がお寺に飾ってあるものだと思ったものでした。
 
 ところが、これらの数多くの仏様のうちで、実在した仏様は仏陀の釈迦如来だけです。釈迦が生きた2,500年前、インドの人たちの多くは無学文盲であったと想像されますが、彼らに難しい法を説いても理解されません。そこで、例えば、阿弥陀如来は、無明の世界を照らす仏で、衆生が阿弥陀如来を深く信仰することによって、極楽浄土に行けることを説き、薬師如来は病気を直す仏として、それに帰依することによって病気が治ると説いたのです。
 
 私の家は浄土真宗本願寺派ですが、阿弥陀如来が本尊になっており、「南無阿弥陀仏」と称名します。「なんまいだ」と唱えるだけで、阿弥陀如来が私たちを苦界から救ってくださり、極楽浄土へ導いてくださるというのです。「南無」は「あなたに帰依します、従います」という意味ですから、南無阿弥陀仏は、「阿弥陀如来様あなたに従いますから、どうか助けてください」と言うことになります。
 密教の真言宗の本尊は大日如来であり、宇宙そのものであるとも説いています。曼荼羅(まんだら)は大日如来を中心とし、そのまわりに諸仏を描き、それが宇宙の構造を表したものとされています。
 
 さて、この東日本大震災によって、家族も、住み家も、職業も、友達も、全てを失った人々がたくさんおられ、この世には神も仏もないのかと嘆きの声が聞こえてきます。否、被災者でなくとも、毎年自殺が増え続けているのは、心の病を患っている人が多いということではないでしょうか。
 こうした苦悩する人たちの心の支えになるのが宗教です。今まさに仏教がその真価を問われていると言っても過言ではありません。お葬式など、供養だけが仕事となってしまった我が国の「葬式仏教」を見たならば、仏陀はどれほど嘆かれることでしょう。

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