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社長通信

第293号 ルーツ

2012年08月号

 私の先祖が城主であったことが、父親の生まれ故郷のお寺の過去帳から判明しました。城主と言っても戦国大名が群雄割拠した時代のことだと思います。
父親の郷里は、滋賀県(近江国)秦荘町(旧町名)。滋賀県には243の城址があり、秦荘地区だけで8箇所もあります。お城の名は安孫子城。安孫子城が城と言えるほど立派なものであったかどうかは分かりませんが、西門跡と東門跡があり、その距離は実に1キロも離れています。したがって、この二つの門の跡は、この城の城主であった安孫子氏の支配地域(領国)を示す印なのではないでしょうか。その安孫子氏は織田信長の勢力下にあって、安孫子の苗字を戴いた子孫が今も続いています。従って父は寺村家の夫婦養子ですが、私のDNAは安孫子城主と同じはずです。

 さて、安孫子城を中心とした半径10キロ圏内には、湖東三山として有名な西明寺、金剛輪寺、百済寺(ひゃくさいじ)があります。百済寺(ハクサイジ→ヒャクサイジ)は、推古14年(606年)、聖徳太子が百済から渡来した百済人のために、その母国名を冠して建てた寺です。そして、百済寺の住職は、代々渡来人の僧侶が務め、仏法―「釈迦の教え」を広めたと言われています。この寺は、一時期、延暦寺の別院として1300人の僧が修行していたそうですが、信長によって延暦寺と共に焼き打ちにあっています。
いずれにしても、当時の先進国であった百済からの渡来人は、飛鳥地方に勢力を伸ばし、その地域の人口の8割を占めていたといいます。そして、彼らは、父親の郷里の付近にも多くの集落を築いており、先進的な思想、技術を持った者として、倭人を統治していたものと思われます。
 
 滋賀県は、住民一人当たりの寺院数が全国一多い県です。県人口140万人に対し、お寺は3200ヶ寺あります。子供も含めて、440人にお寺が一つあることになります。因みに、東京都は寺院数が滋賀県より少ない2900ヶ寺。人口は滋賀県の9倍以上なので1ヶ寺当りの人口は、滋賀県の10倍以上となります。滋賀県は浄土真宗が多く、私の育った町はたった400軒しかないのに、真宗が8ヶ寺と天台宗が1ヶ寺あります。1ヶ寺当りの檀家数は平均44軒。これではお寺を維持できません。従って、住職は学校の先生や公務員などの副業を持っています。

 私の小学生の頃、住職はそんな忙しい中、日曜日には、本堂で仏教の話を紙芝居など交えてしてくれたものです。今でも団塊の世代より上の人々は、お寺に対して、郷愁を覚える人も多く、護持会費や寄付は仕方なく払うと言うより、護持するのは門徒(真宗の檀家の呼称)の役目と感じる人が多いようです。滋賀県はお寺の数が多い分、布教活動の如何によって寺院の浮沈が決まると思うのですが、江戸幕府は檀家制度によって信徒と収入を保証する一方、他寺や他派の檀信徒を勧誘しないこと、新しく寺院を建てないことというお達しがあって、寺院の権益が守られていました。檀家制度は江戸幕府が寺院に住民の管理を委譲した制度(お寺の過去帳はその記録台帳)によって、必然的に決まった寺院に所属させられたことから生まれました。檀家はお寺の了承なしに結婚も転居も旅行も仕事もできません。従って、檀家は寺院に逆らうこと、勿論離檀することは出来なかったのです。
 私の遠いご先祖は、朝鮮から渡来した僧や、その教えを受け継いだ聖徳太子であるかも知れないし、百済寺には1300人の僧がいたそうですから、彼らの一滴が安孫子家になったのかも。はたまた湖東に移り住んだ百済からの名もない渡来人であったのかも知れません。

 現在、原発で有名な福井県大飯は滋賀県人には全くなじみの無い土地ですが、この原発が事故を起こせば、福井県と滋賀県の県境にある山脈の東側に位置する湖西地区は、その影響を免れ得ない位置と距離にあります。当社が35年ほど前、韓国に依頼して作った灯篭を輸入し、卸売りした取引先の一つが、琵琶湖の湖西にある灯篭メーカーです。その灯篭は、古代灯篭と称し、原型(ルーツ)は朝鮮から来たもので、元々は渡来人の石工が比良山脈から産出した原石を灯篭に加工し、大八車に積んで大津や京都に売りに行ったのです。
 このように、滋賀県人は遙か1300年昔の百済人の血を引く性か、積極果敢な民族(近江商人)が形成され、日本中、否世界中で活躍するに至りました。その証拠に内外を合わせ、71の滋賀県人会が組織されています。

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