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社長通信

第294号 終活

2012年09月号

 2年ほど前から流行りだしたのが、「就活」をもじった「終活」です。「終活」とは何かと言うと、自分の死を見つめて、自分に合った終焉を迎えることができるように準備をすることを言うようです。
 先日、タクシーに乗ろうと手を上げたら、一台のタクシーが10メートル位行き過ぎて止まりました。急いでタクシーまで走り、乗ったところ、「お若いですね」と言われました。「幾つに見える?」と聞くと、「私より若そうだから61、2ですか?」との返事。「どうして?」と聞くと、バックミラーで私の顔を見ながら、「歩く姿で分かりますよ」と言います。お世辞とは知りながら、嬉しくて降りるとき思わず「お釣りはいいよ」と4百数十円のお釣りをあげてしまいました。
 
 26歳で会社を創立し社長になって、40歳を迎える頃までは年齢より上に見られたいと思ってか、地味な服装を好んだものでした。ところが、50歳を過ぎた頃から、白髪を染めたり、ピンクのシャツを着たりと、若く見られる努力を重ねています。
いずれにしても72歳の私には、未だ「終活」はピンと来ませんが、65歳を過ぎる頃から、周りに、主に成人病で亡くなる人が多くなったのを見ると、決して他人ごとではないと自覚するようになりました。人間は生まれた以上、必ず死ぬということが等しく約束されています。致死率は100%なのです。この「死」を身近なものとして自覚できるようになる年齢が、終活年齢ではないでしょうか。
 さて、我が国の死亡原因は、がんが30%、心疾患16%、脳疾患12%で、約6割の人が三大成人病で亡くなっています。元当社の専務が、昨年の9月3日に脳出血で倒れました。直ぐに病院に運ばれ、手術をすることによって一命は取り留めましたが、倒れてから1年以上経った今も意識は戻りません。現在、胃ろう(胃に穴をあけ飲食物や薬を投与する処置)と気管挿管(痰等の吸引装置)によって、生命は維持されています。彼は倒れる前までは、私の数倍も健康に留意していました。一緒にゴルフをした時も、カートには絶対乗らなかったし、普段は毎日7キロのウオーキングを欠かさないことを自慢していました。それほど元気な男でしたから、万が一意識を失い、死線を彷徨った時に、これこれの処置をしてくれという意志の記述(遺書、遺志ノート、エンディングノート等)は何一つありませんでした。家族としては、何が何でも生きて欲しい、先生お願いしますというのが本心でしょうし、助ける努力をするのが医者の義務です。しかし、これでは本人の意思とは無関係に、意識不明のまま何時までも生かされるとも言えないでしょうか。私は寝たきりで苦しむのは嫌だし、人間らしく生きたいので、万が一倒れた時、胃ろうと気管挿管だけはするなと遺志ノートにしたためてあります。
 
 また、去る6月には石材の輸入をしていた同年の男が肺せん癌で亡くなりました。1ヶ月半の入院後、退院し自宅療養に移行し、亡くなる数日前まで3食をしっかり食べ、6枚の便箋に遺書を書き残し、苦しむことなく退院後2ヶ月で逝きました。末期のため抗がん剤や放射線治療はしなかったそうです。「誰にも知らせず葬儀も偲ぶ会もするな」と言う故人の「遺志」を尊重して、家族は葬儀告別式をすることなく荼毘に付しました。家族だけでの懇ろなお見送りが出来たと思いますが、私は、後日、焼香のために霊前に伺わせていただきました。さらに1ヵ月後、彼を知る石材関係の友人10人ほどで、新宿の料理屋で偲ぶ会を開き、故人を思い出しながら、酒を酌み交わしつつ、しみじみと語り合いました。
 さて、高齢者と呼ばれる現在65歳の男性の余命は15年。女性のそれは21年と云われています。但し、今後10年毎に1歳ずつ平均寿命が延びるとも云われており、現在35歳の男性は83歳、女性は89歳が平均寿命となるそうです。未婚者の割合が増えつつある現状のなか、彼らが終活世代となった時、彼らは子供を作っていない訳ですから、支え手がいません。勢い、高齢者1人を、1人の生産年齢者(15歳から64歳)が面倒を見なければならない、いわゆる「肩車」の時代が来るのです。
  若者よ、自分の終活を気楽にするために、今からでも遅くはありません、子供を作りましょう!私は、28歳の時に3人の子供がいましたが、生活は何とかなるものです。

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