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社長通信

第315号 神と仏

2014年06月号

 聖徳太子の十七条憲法第一条に「和を以て貴しとなす」とあります。
 この条文そのままに、日本人は情愛より、和や秩序を大切にするように思われます。この条文を解釈してみると、仲間内の人間関係を大切にすること、即ち、むやみに反抗することなく、仲睦ましく、穏やかに話し合い、協力すれば上も下も心が和み、何事も上手く行くとなります。端的に言えば、話し合えば道理に適った正しい結論に至るということです。
 第二条には、「篤く三宝を敬え(三宝とは仏法僧なり)」とあります。これは仏教を敬えということです。「仏」とは真理(永久不滅の真実の道理)を悟った人(仏様)、「法」は仏様の教え(真理)―即ち仏法、「僧」はその仏法を伝える人(僧侶)になります。
 お釈迦様は、真理を悟られて、それを会得された人だから仏様なのです。「話し合いは仏の教えである真理に優先する」とも言われます。何事も話し合い、全員一致で決めれば、真理に到達すると言う意味です。従って、日本の社会では、物事の結論に行き着くまでに、下から上へ、また上から下へと根回しが行われ、その結果、たとえ真理に反し、間違ったことでも、話し合いで決めたことだから正しいとなってしまいます。どんなに正しいことであっても、独断専行は反発されます。一人では決められない、決めてはいけないのが、和の社会である日本の慣習です。
 ところで、当社は、業界では、「和」や「秩序」に従わない「異端児」扱いされていますが、それは、業界の商習慣を無視し、新しい商品やサービスをどんどん取り入れるところから、そのように言われるのでしょう。お墓や葬儀の業界は大変保守的ですが、当社は、業界のイノベーターとして、大衆が支持する新しい商品やサービスを提供することによって、異端児と言われるなら、その名を甘んじて受けたいと思います。
 さて、一方、西欧民主主義社会では、それぞれが異なる意見を持つことが善とされ、全員一致などあり得ません。その中で、多数決と言う民主的採択法で決まったことについては、全員が同意することが原則となっています。
 民主主義は、キリスト教が母体となって生まれました。万物は造物主―神が作られたものであり、基本的人権も神から人間が等しく与えられた権利です。全員一致で決めたことでも、基本的人権は侵してはいけないというルールです。日本人に基本的人権意識が薄いのは、我々の命は神から与えられたという思想が無いからです。
 紀元前6世紀に仏教が生まれ、日本に伝わったのが紀元五三八年と言われています。仏教において、釈迦は真理を解いただけで、造物主がいるともいないとも明言していません。悟りを開くと仏になるということですから、仏教の仏=神は、人間が昇華したもので、多数存在します。
 仏教の誕生とほぼ同じ時期に、神との契約内容を書いた聖典(旧約聖書)をバイブルとするユダヤ教が生まれ、その五百年後、イエス・キリストが、神と新しく結んだ契約=新約聖書を創り、キリスト教が生まれました。また、十七条憲法制定時より後の六一〇年に、神と別の契約を取り交わしたとするコーランを聖典とするイスラム教が、マホメットによって誕生しています。
 これら世界三大宗教は、神の呼び方こそ違え、みな同じ造物主がいて、絶対唯一の存在です。 我々日本人は、「私は無宗教」と簡単に言いますが、外国で「私は無宗教」と言うと、邪教を信じる人よりも馬鹿にされるそうです。それは、仏教にはバイブルやコーランのような神との契約を著した根本経典がないことに起因するのではないかと思われます。確かに、仏教にも経典はありますが、その数は数万巻にもなります。インドから中国に入り、漢訳され、多数の日本人が中国に渡り、経典を持ち帰りました。その人達の使う経典はそれぞれ異なり、その教義の違いにより宗派が生まれました。仏教は、元々「自然」そのものを前提としているために、悟った人=覚者=仏陀が複数いても矛盾はありません。一神教の神は人間が発明した最高の存在ですが、特にその一神教同士で戦争が絶えないのは、政治家や僧たちの権勢欲や権益を守るための宗教宗派争いに過ぎず、神を利用し冒涜しているとしか思えません。
日本には八百万の神様(神道)がいて、神社同士が争ったと言うことがありません。仏教も江戸期以降宗派間の争いを聞きません。
このような神々の平和な世界を持っている日本人の根本的な思想を、私たちは聖徳太子の教えの中に見ることができるのではないでしょうか。

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