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社長通信

第338号 仏教

2016年05月号

東日本大震災から5年後、今度は熊本に大震災が発生しました。災厄に遭われた人たちの中には、何で自分たちだけが…と、この地震を地の神の怒りのせいにした人がいたかもしれません。 
 現在、赤坂と名古屋で工事中の納骨堂も、工事を始める前に、施主と設計者・建設業者が、四角い形に「しめ縄」を張り、土地の神を祀り、怒りを買わないように鎮め、且つ工事の安全を祈願する地鎮祭(起工式・安全祈願祭ともいう)を行っています。これを怠り、もし事故でも起こると地の神の怒りを買ったということになるので、工事着手の前に必ず行います。その後は棟(鉄骨組み)が完成すると、上棟式を行います。赤坂では4月12日に行い、6月7日には名古屋で行うことになっています。これは棟上げが無事に終わった報告を神様にするものです。勿論、内装等全てが完成した暁には無事完成しましたと竣工式(お寺ですので落慶法要)を執り行います。通常これらの儀式は神式で行いますが、2棟ともお寺の施設ですので、住職が導師を務め完成までの安全を祈願し、完成すれば感謝と、建物の繁栄を祈願することになります。     
 こうした行事は仏教の開祖であるお釈迦様は意図しなかったことです。仏教の神髄は私たちが生きることの苦しみや不安から離脱する術を教えてくれることです。苦しみとは自分の思い通りにならないから、また不安は分からないから生じます。 ①殺生をするな。 ②盗みをするな。 ③浮気をするな。 ④嘘をつくな。 ⑤酒を飲むな。 ―これら五戎を守らないと必ずあの世で報いが来ると、因果応報を釈迦は説いています。釈迦の教えはタイ、ミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジア、スリランカ(セイロン)等の上座部(小乗)仏教国に脈々と流れています。
 釈迦は29歳で出家し35歳で悟られ、如来となりました。悟りは覚りとも書きますが、宇宙の真理を会得することです。実存した人で悟りを開き、仏と称されたのはお釈迦様だけです。庶民が真理を悟ることは難しい…庶民が悟ることは無理だから、選ばれた人が悟りを得る為に修行一途に生きるのが上座部仏教の僧侶です。一途に阿弥陀如来を信じ、坐禅を組み悟ることによって苦しみや不安から開放されるとおっしゃるのですが、庶民が覚醒するには途方もない時間がかかるとも言われます。即ち、庶民が自力で悟るのは無理だと言われるのです。       
 人間は生きている限り、何らかの悪いこと(他の生き物などを食べること)をしているものです。従って成仏できないことになります。浄土真宗の宗祖とされる親鸞聖人は、仏から見ればどんな小さな悪でも悪人である。その悪人を救ってくれるのが阿弥陀仏であり、念仏一途に生きれば救われると説かれています。あくせくあくせく働き、美味しい物を食べ、子供を育て、老いては病気やボケになり、周りの人のお世話になって、一生を終えるのがよくあるパターンです。       
 子供の頃、道行く老婆が「なんまいだ、なんまいだ」と唱えながら歩く姿を度々見かけました。南無阿弥陀仏(なんまいだ)と称名することによって、他力(阿弥陀如来)に助けてもらう他力本願を唱えられたのが親鸞聖人です。親鸞の凄い所は、最初に肉食妻帯をした破戒僧ということです。当時は禅宗が主であり、僧侶は結婚すること、肉を食べることを許されませんでした。親鸞はその禁を破り、数回の結婚で7人の子供を作り、鹿や猪などを食べられたのです。人間はどんなに修業しても本能からは逃れられないと悟られたのです。阿弥陀如来から見れば、人間のしていることは全て悪である。従って次に生まれてくる時はゴキブリかも知れない。そこで親鸞は再び人間に生まれて来るには、念仏を唱え阿弥陀如来におすがりするしかないとされたのです。悟りの真髄は「執着心が苦の原因」であるから、何ものも自分のものと考えるなと。欲望を全て捨て去れば、苦から逃れられ自由になると。       
 上座部仏教の僧侶は黄土色の布切れ1枚をはおり、裸足で托鉢し、食事にあり付くのが習慣です。彼らは修業に専念する代わり、働くことも結婚することも禁止で、禁を破れば破門です。スリランカでは毎週日曜学校があり、小・中・高校生は仏教の勉強に近くの寺院に行くことが常となっています。僧侶は先生でもあり禁欲生活を貫いていますから、一等尊敬される存在のようでした。    

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