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社長通信

第357号 お墓の思い出

2017年12月号

毎年、年末になると、父親の会社の倒産やら、当社設立やら、墓石業を始めた時のことやらを思い出します。
 1966年12月(26歳)に、資本金50万円にて日本ホームサービス株式会社(現ニチリョク)を設立し、私一人で始めました。定款の事業目的は、何をするか決まっていないので、思いつくままに書き並べました。
 当初は資金が無いため、資本の要らないDM発送代行業を開始し、3年後には100万通を発送するまでに成長。DM作成のノウハウを利用し、更なる発展を求め会員制旅行業を始めたのが29歳の12月。32歳の時、列島改造ブームに乗って不動産業に進出、3年後にはブームの終焉を見越し緑化・造園業に。
 同業の造園業者に出入りしている内に、韓国から輸入された石灯篭に巡り合い、37歳の時、石材の輸入業を始めました。2年も経つと、灯篭よりも墓石の輸入が多くなり、石材小売店に卸すうちに、小売が大変利益のあるビジネスであることに気付きました。
 墓石の小売りに進出しましたが、卸しは掛け売りです。3年後、これ以上石材商社を続けても成長が見込めないと判断。試験的に墓石第一号を施工したのが1980年の暮れ。お客様はDM発送業当時の取引先の紹介でした。
 当時、造園もやっていたので、土をいじる専門家はいましたが、墓石の建立経験者は誰もいません。それでもやってみないと分からないと、私はじめ、専務・常務などネクタイをしている社員が雪の中、重い石を一輪車で運んだ記憶が鮮明に蘇ります。一輪車は土砂を運ぶのに使う運搬車であって、墓石にはネコと言う石材専用の二輪車があるのですが、それが分かりませんでした。
 そんな経験の後、少資金で開業でき、且つ激しい競争は無さそう、更に近代化の遅れている業界を模索した結果、墓石業しかありませんでした。この業界ならトップを狙えそうだと野心が燃えました。
 さて、当時の当社は西武新宿線下井草駅北側の住宅地の中なので、店舗はありません。外に出かけるしかないのです。また、小粒ながら商社ですからネクタイをした社員しかいません。ところが墓石は角が欠けやすく、重くて、泥が付くとその汚れが取れにくい、素人には扱いにくい素材です。要するに1セット1トン近くある墓石を扱える社員が一人もいないのです。
 そこで考えたのが、トラックに墓石を建てたまま移動する方法でした。トラックの荷台に8基の墓石を固定し、大正堂、ニチイ、長崎屋等、大型店の店頭や駐車場に駐車し、トラックをそのまま展示場にしたのです。もちろん、4トントラックに6トンから8トン近くになる墓石は積んで走れません。そのため墓石の中をくり抜き、軽くしたのです。荷台から下の部分は紅白の幕を張り、タイヤを隠しました。運転席はコンクリートパネルでお墓の形を作り、すっぽりと被せました。竿石に相当する部分には「墓石展示即売会」と大書きし、宣伝チラシを近隣に撒いたのです。
 このトラックで首都圏のスーパーをキャラバンしました(土曜日から翌週日曜日までの9日間開催、期間中の売り上げ2~3000万円)。大いに売れたのですが、暫くすると売れすぎて困ったことが生じました。施工がおっつかないのです。
 そこで考えたのが墓石やカロート(納骨室)の工場組立です。強力な接着剤の出現により、それを使って工場で組み立ててしまったのです。組み上がったお墓をトラックで霊園まで運び、ラフタークレーンによって各区画へ降ろせば施工完了です。これで施工した墓石は、運送途上で耐震検査も終わったようなものです。もし、接着が十分でないと輸送中にバラバラになってしまいます。
 大学は機械科ですが、就職先は親父の会社と決まっていたので、部活にのめり込んで勉強は余りしていません。卒論設計も某大手機械メーカーの先輩に頼んで、自動旋盤の図面を借り、作成し漸く卒業。それでも機械科の知恵はお墓の商売にも十分発揮しているのではと思います。

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